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東府今若

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おでんやでござるその二

杉浦日向子の『大江戸美味草紙』から「おでん」の後半部。
このくだり、杉浦の典型的な資料の読み違いのパターンである。
田楽と似たものに、「おでん」がある。おでんは、田楽の女房言葉(おひや、おみおつけ、の類い)といわれるが、実はこの二つは、調理法が異なる。田楽のほうは香ばしい「焼き目」をつけるのが必須条件で、おでんのほうは、湯の中で「煮る」ものだ。つまり、豆腐は田楽で、こんにゃくはおでん、となる。昨今よく「こんにゃくの田楽」と称し、こんにゃくを湯炊きしたのに味噌だれをかけたのを売っているが、あれは、絶対『みそおでん』でなければウソである。」(pp.89—90)
種本は分りませんが、よほどの自信がおありでしょう、きっぱりと「おでん=田楽」を否定しています。

ところが、『美味草紙』の種本のひとつである『守貞謾稿』には、「蒟蒻」の項目に「蒟蒻ノ田楽」の説明があって、
「…唯コンニヤクノミ、串セズ焼サルモ、田楽ト云」と、書いてあるんです。

勘違いも甚だしいとはこのことで、昨今どころか 150年以上も前から「こんにゃくの田楽」を売っていたんです。

『大江戸美味草紙』の文章を読んでいると、どうしても『江戸の繁盛しぐさ』を思い出さずにはいられない。
文章や中身がどうこうではなく、トーンが実によく似ているのです。
『美味草紙』の初版は1998年、『繁盛しぐさ』は1992年。
杉浦が『江戸の繁盛しぐさ』を読んでいるとは思えないのだが、どこか共通するところがあるのでしょう。
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# by tassok | 2016-11-25 03:23 | 江戸料理 | Comments(0)

江戸しぐさでござる

『江戸しぐさの正体』の著者の原田実氏によると、晩年の芝三光は、NHK の『コメディーお江戸でござる』を観ながら、
「この人(杉浦日向子)のしぐさは否の打ち所がないねェ」と言っていたそうである。

引用書(「江戸しぐさ 残すべし」みやわき心太郎)を読んでいないので、どんなシーンで、何を思っての言葉か分らないが、思うに芝は杉浦に一つ穴を認めたのではないだろうか。

私がときたまこの番組を観た範囲でも、杉浦は時代考証以前の間違った話を何度かしていたし、間違いとはいえないまでも、江戸風俗研究家としてのセンスを疑いたくなるような話しをていた。
まさか、芝にそれが判ったとは思えないが、杉浦の姿を見て、どこか自分に近いものを感じたのではないだろうか。

杉浦や芝の語る「江戸」には、江戸の香りはまったくしない。
それどころか、明治はおろか戦争前の東京の姿さえ浮かんでこないのである。
二人とも、歴史上存在した「江戸」ではなく、自分の頭の中にある、ユートピアとしての「江戸」を語っているからである。
大きな違いは、杉浦には種本があるが、芝にはそれがなく、まったくの与太だということくらいなものだ。

杉浦の存命中に「江戸しぐさ」は存在していたが、杉浦は「江戸しぐさ」について話すことはなかった。
もし語ったとしたら、麗澤大学での田中優子氏のように「うかつ誤り」で、うっかり好意的なことを言ったのではなかろうか。


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# by tassok | 2016-11-05 10:26 | 読書日記 | Comments(0)

江戸流・鮨の食べ方 続き

『杉浦日向子の江戸塾』から、「江戸流」ならぬ「杉浦流・鮨の食べ方」の続きです。
あんまり面白いので、御紹介いたしましょう。
…握り鮨が二巻ずつ出てくるのはどうしてでしょう。
あれは幕末に急に二巻になったんです。理由のひとつは、江戸前の握り鮨が上方の押し鮨やなれ鮨を圧倒して全国区になったことです。江戸っ子の骨格を見ると、頭が大きくてえらが張っている。つまり口腔容積が大きい。そこで江戸っ子が満足するしゃりの量は、他の地方と比べて多いんだそうです。これを上方の人は一口では食べられない。そこでぽんと真ん中で切って、二つにして出した。だからあれをさらに真ん中でかみ切ろうとするのは、大馬鹿野郎(pp.32―33)
寿司を数えるのに「カン」と言い「巻」という字をあてているのが、時代を感じさせますね。

握り寿司が2個づつ出るようになった理由は、諸説あってはっきりしませんが、幕末ではなく戦後のことです。
たしかに戦前までの握り寿司は、今よりはるかに大きくて、だいたい稲荷寿司くらいの大きさがありました。
「五貫のチャンチキ」といって、握り5つと巻物(3つ切り)2つが一人前で、1つ一口半から二口が標準だったから、当然それをかみ切って食べた。だからあれを丸呑みしようとするのは、大馬鹿野郎。

そもそも「口腔容積が大きいから、満足するしゃりの量が他の地方と比べて多い」とは、どこから出てきたのだろうか。
ウワバミじゃああるまいし、そんなことができるものか。

これを読むとこの人が、いかに出鱈目なことを言っているかがよく分るでしょう。
先の「どぜう汁」といいよくもまあ、こんないい加減なことを書けるものだと、感心してしまいます。

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# by tassok | 2016-03-15 15:39 | 読書日記 | Comments(0)

江戸流・鮨の食べ方

マンガ家の杉浦日向子が『杉浦日向子の江戸塾』という本の中の「江戸流・鮨の食べ方」で、↓のようなことをおっしゃっています。
…上方の太巻きに対して江戸は細巻きなんですね。江戸では鮨をつまみにお酒を飲む。つまり巻き物もつまみなんです。だから細い。…江戸では最初から頼んでいいんですよ。つまみなんだから。
刺身をつまみに一杯飲んで、それからお鮨、というのは、実は関西風で、江戸では野暮なんです。江戸前はいきなりご飯。お酒に対して生魚は主張しすぎるんですって。それをご飯が取り持つことによって、ちょうどよくなる。(p.32)
はぁ、江戸では海苔巻をつまみにお酒ですか……。
お説のとおりだとすると、酒席に刺身は無用ということになりますが、どうなんでしょうかね。

それはさておき、江戸時代の寿司屋は、屋台をのぞけばほとんどが出前専門で、店で食わせるところは数えるほどしかなかったんだそうです。
ですから寿司で酒を飲むとすれば、届けた先でのことになります。
続けてこうおっしゃっています。
それから巻き方ですが、鉄火巻きというのは、江戸の頃、なかったんですが、鮪は四角く巻いて、きゅうりは丸く巻く……
でもかっぱ巻きや干瓢巻きは丸く巻くんですよ。(p.33)
「江戸流・鮨の食べ方」なのに、江戸時代にはなかった、鉄火巻やかっぱ巻が出てきて、なんだか変ですが、スギウラセンセイのウンチク話ということで。
この話、どこで仕入れてきたか存じませんが、巻き寿司を丸く巻くとか四角く巻くとかって「うちではこうやっている」というレヴェルのはなしで、そんな決りごとなぞありゃしません。
日本橋吉野鮨や神保町の鶴八、弁天山美家古の主人は、そんなことひと言もいっておりません。

それよりも「かんぴょう巻は、今は4つ切りですが、昔は3つに切っていました。他の巻き物は6つ切りにします」とか「海苔巻は、鉄砲巻ともいいます」といったほうが、よっぽとカッコいいのになと思うんですけどね。

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# by tassok | 2016-01-03 11:11 | 読書日記 | Comments(0)

どぜう汁

 —…何だい「とせうけ」っての?
 —Qu’est?...
 —「と・せ・う・け!」
 —「とせうけ」じゃありません、「どじょーじる」です。

マンガ家の杉浦日向子氏が、『大江戸美味草紙』の中でこんなことを言っている。
少し長いが全文引用する。
ところで、「どじやう」「どぜう」では、「どじょう」本人の状態が異なっていることを付記したい。「どじやう」は、「どじょう」が存命中の呼称で「どぜう」は「どじょう」が食い物になった呼称である。それだから、たんぼに「どぜう」はいないし、はふはふつつく鍋に「どじやう」はいない。耳できいて、どじょうがどんな段階にあるか即わかるようになっている。それほど、江戸人とどじょうは付き合いが深かったのだ。再三出た「どじやう汁」は、生きたのをいきなり調理するから、あくまでも「どじやう」であり、対して「どぜう鍋」は、あらかじめ骨までやわらかく下茹でした姿煮や、裂いて頭を落とし、骨や内臓をきれいに取り除いた開き身をもちいるから、すでに「どじやう」ではなく、食材としての「どぜう」なのである
杉浦氏は、「どじやう」と「どぜう」の違いが、あたかも「ピッグ」と「ポーク」とのように言っているが、そんなことがあるものか。
おそらく泥鰌屋の暖簾が、みな「どぜう」となっており、それ以外の例が見あたらないから、そう言っているのだろう。

それに「耳できいて」と言うが、「どぜう」を「dozeu」と読むことは、この時代にはすでになくなっていた。
「どぜう」と書こうが「どじやう」や「どぢやう」と書こうが、はたまた「どでう」と書こうが「dojō」と読むのである*。

延宝2年(1674)に出た『江戸料理集』や、『古今料理集』に「どぜう汁煮方の事」が載っている。
有名な駒形橋の「どぜう」の暖簾はおろか、まだ泥鰌屋が出来ない前に、すでに「どぜう汁」があったのである。

駒形町の越後屋(亨和元年〔1801〕創業)の逸話も、おそらく、越後屋輔七の創作ではなく、「験直しに、奇数文字の『どぜう』を選択した結果、他所もそれにならった」というのが本当のところなのだろう。

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# by tassok | 2014-09-25 19:54 | 読書日記 | Comments(0)

江戸しぐさ拾遺 第五

『江戸の繁盛しぐさ』、第5部「うらしま・たろうの『現代江戸講』」から、その5
…若い方たちは足が長くてスラっとして十頭身なんて喜んでますね。…
ところが江戸で言いますと、福助。だから福助足袋という商標になったわけで、福助こそ江戸の最高の男なんですね。五頭身半、六頭身ですか、だから六頭身というのがとても良い。
手、足を見まして……手の長いのはちょっとためらってしまう……(p.217)
江戸時代も長身痩躯にあこがれていたのは今と同じで、美人画などは時代が下るにしたがって、八頭身、九頭身としだいに日本人離れしたプロポーションになっていった。
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『叶福助噺』栄邑堂邑二・編、栄松斎・画、十返舎一九・校合 早稲田大学図書館蔵

その福助だが、福助のモデルにはいくつかあるが、おそらく一番有名なのが百姓の息子の佐太郎だろう。
生まれついての奇形児が江戸へ流れ着いて、「不具助」をもじった「福助」の名前で見せ物に出ていたところを、篤実な侍に買われて幸せに暮したというから、それこそ最高の男だったにちがいない。

それと、福助足袋が江戸時代からの老舗と思っているようだが、創業は明治15年、最初の屋号を「丸福」といった。しかも大阪は堺で、江戸でも東京でもない。
「丸福」を「福助」に変えたのが、明治33年のことでした。

 —…はやく言って安心させろよ。誰に似てんだい!
 —お前さん、福助。
 —あの役者のか?
 —なぁに、今戸焼きの福助……
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# by tassok | 2014-09-23 15:44 | 読書日記 | Comments(0)

新続 江戸しぐさ拾遺

『江戸の繁盛しぐさ』、第5部「うらしま・たろうの『現代江戸講』」から、その4
鼻濁音にも表現法があった。寺子屋教材では△字をつけて指示する。科学は「かがく」、化学は「くわが△く」。サイエンスのとか、ばけがくのとか言う必要はなかったんです。
鼻濁音の意味が分っていないようだ。
鼻濁音は語中のガ行に生じるもので、語頭では生じない。
「御飯に玉子をかける」は「ゴハンニタマコ°ヲカケル」、「玉子かけ御飯」は「タマコ°カケゴハン」となる。
したがって「かがく」「くわがく」に関係なく、「カカ°ク」「クワカ°ク」と、「学」が「カ°ク」と鼻濁音になる。

そもそも「科学」も「化学」も、旧仮名表記では「くわがく」だし、しかも明治になってできた術語なんで、寺子屋では教えていないはずですけど。
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# by tassok | 2014-09-22 19:55 | 読書日記 | Comments(0)

続々 江戸しぐさ拾遺

『江戸の繁盛しぐさ』、第5部「うらしま・たろうの『現代江戸講』」から、その3
…赤坂もおもしろい。昔は「あ」にアクセントを置いた。ところが官軍が来てから「か」にアクセントが移る。それが江戸の人たちは「カサカがアサカにかわりアカ(垢)がたまって汚くなった」、とからかったもんです。(傍線ママ)
カサカ」って、耳なれないアクセントだが、ブルー・コメッツの「雨の赤坂」のさわりの部分を思い出してくださればいいかと思う。
ネタもとは童謡の「赤とんぼ(アカトンボ)」だと思われる。

だとしたら、山田耕筰が「赤とんぼ」に曲をつけたのは 1927年だから、官軍が来てからも東京にはまだ「カトンボ」は飛んでいたわけだ。

ところで、赤坂見附は「カサカミツケ」と言ったのか、また他の「赤」のつく言葉のアクセントは、どうなっているのか。先の「板橋」といい、こいうことにはまったくふれていない。

余談だが、歌人で国語学者の土岐善麿(1885ー1980)によると、坂にも「カ」「サ」と、東京の地域によってアクセントの相違があったのだそうだ。
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# by tassok | 2014-09-21 20:01 | 読書日記 | Comments(0)

続 江戸しぐさ拾遺

『江戸の繁盛しぐさ』の第5部「うらしま・たろうの『現代江戸講』」から、その2
江戸っ子が「ひ」と「し」の区別がつかないというのは有名な話ですが、自転車を「ぢてんしゃ」と言うか「じてんしゃ」と言うかでも分かる。…(pp.219―220)
自転車は、旧仮名表記でも「じてんしゃ」である。
また「ぢ」と「じ」の発音の違いは、江戸時代の初期にはすでになくなっていた。

自転車を「じでんしゃ」と言う人はいたし、今でもいる。
さっするに、江戸っ子は「ひ」と「し」の区別はできないが、「ぢ」と「じ」の発音は使い分けていた、とでも言いたかったのだろうか。
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# by tassok | 2014-09-20 19:56 | 読書日記 | Comments(0)

江戸しぐさ拾遺

先日読んだ『江戸しぐさの正体』ではふれていない珍説を『江戸の繁盛しぐさ』の第5部「うらしま・たろうの『現代江戸講』」の中から拾いあつめてみる。
江戸市中ではいずれも宿場名は澄んだ発音をしたんで、江戸の人間が宿場を出る時は、たとえば「いたばし」、戻ってくる時は「いたはし」と澄んだ発音で使いわけた。
落語ネタにもなっている、「千住大橋」「両国橋」などの「はし」と「ばし」の発音からの発想と思われるのだが、どういうわけか、他の三宿「品川(しなかわ)」「千住(せんしゅ)」「新宿(しんしゅく)」については言及していない。
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# by tassok | 2014-09-19 19:53 | 読書日記 | Comments(0)

東府今若の世界

皆様。こんにちは。
本日より書きためていた「東府今若」の咄を少しずつアップしていく予定です。

先ずは「東府今若」という名前について一言。

「東府」は「東都」、「東京」の事です。
「甲府」、「駿府」と同じ理屈です。

「今若」は「今の若(ごと)し」。文法的には「若今」でしょうが、まあ「今昔」ということばもありますから宜敷いでしょう。

今若と言う文字が入ることから、何れは「過去・未来・現在」の事も書こうと思っています。

仕事をして生活してませんので気楽、気儘に行こうかな〜っと思っています。(マイペースね)呵呵
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# by tassok | 2014-09-15 19:55 | 日和下駄 | Comments(0)